『文系の方々は「ワードの○○って、どうするの」とか、すぐ人に聞く。「ネットで調べて!」「ヘルプ使って!」と思ってしまうのは、私の心が狭いのでしょうか』(奈良県/20歳/女性)
なんてあたりは同感です。
私はちょっとだけ理系よりの「文系バカ」ですが、こんなことを頭の片隅に置いておくともうちょっとだけ幸せになれそうです。
「理系の人は『正確でないことを話してはいけない』と、何年もかけて教育されています。だから、会話の最中に『それってどこの情報?』なんて聞くし、その話に反証の余地がないかどうか無意識に探してしまうんです」(竹内さん)
「ただし、論理的でないことをそんなに否定すべきではないと思いますよ。どんなに完璧な論理でも、実験などによって間違いが証明されることはたくさんあります。それに、生物学的に見れば、生存率を左右するのは論理ではなく感情です。未知の相手と対峙したとき、『怖い』と感じる感情があるから瞬時に逃げて身を守ることができる。『今、逃げるべきかどうか』なんて論理的に考えていたら、その間にやられてしまいますよ」(竹内さん)
「理系バカには『事実以外認めない』という頑ななところがあり、ひどくなると、小説や映画に対して『事実が描かれていないものを読んでなにになる』とまで言います。そうやってフィクションを認めない人はコミュニケーション力、表現力が低く、論理的でない人のことを見下したりする。でも、たとえ素晴らしい研究成果が出ても、表現力が低ければ世界の人にそれをアピールすることができません。だから、一流のサイエンティストはフィクション作品もよく読んでいて、表現力が高いのです」
「論理的であることは絶対ではないけれど、伝聞情報を鵜呑みにすることは危険ですし、数学とか物理を『難しそう』『関係ない』と頭から否定してしまうのも問題です。数学のエキスパートである必要はありませんが、せめて理系的な教養を否定せず、ものによっては興味を持ってみるくらいのことも必要では?」
理系と文系では、お互いに「常識」と考えるものが大きく違う。それが文理間の溝を作っているようです。